Seize the day

本や映画などの感想です。自分に水をあげましょう。

代官山さんぽ(猿楽塚、旧朝倉家住宅、目切坂)

代官山をぷらぷらしてきました。きっかけはこの本。

三田用水(変換出てこない)の跡をたどる章で、池尻大橋から代官山に歩くコースが出てくるのですが、代官山の地理がまったくピンとこず。昔東横線沿いに住んでいたこともあり、渋谷と中目黒は大変馴染みがあるのに、その間の代官山は「空想上のセレブタウン」みたいなイメージで、なんだか現実味がなかったのです。

でも、この本を読んでいると、大正時代の建築や江戸時代からある坂、そしてなんと古墳までも残っているとのこと。一気に興味がわき、歩いてみようと思いました。

 

まずは旧朝倉家住宅へ。

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ホームページの解説は以下の通り。

旧朝倉家住宅は、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏によって、 大正8年に建てられました。
大正期の邸宅文化を感じられる2階建ての建物内と回遊式庭園を見学することができます。

重要文化財 旧朝倉家住宅 | 重要文化財 旧朝倉家住宅 | 渋谷区ポータル

ちなみに朝倉家は、江戸時代ごろからこのあたりの大地主で、幕末から明治にかけて三田用水を活用した精米業で財をなし、政治的にも大きな影響力を持つようになったとのこと。

残念ながら中は撮影禁止だったのですが、住宅はとてもきれいに保存されており、高低差を活かした庭園もわくわくしました。

庭園の裏手あたりの出口から出て、ヒルサイドテラスを眺めながら猿楽塚へ。

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円墳の上に祠があり、猿楽神社として祀られていました。以前は朝倉住宅の敷地の中にあったよう。もう一つの円墳は今も敷地内にあったそうなのですが、気が付かなかった。ちなみに、二つの円墳の間を鎌倉街道が通っていたそうな。

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反対側の階段から降りると、ふくろうが塚を見守っていました。かわいい〜と思って写真を撮ってたら、目がぴかぴか光り始めたので、おそらく防犯カメラ的なやつなんでしょう。

その後は朝倉家住宅まで戻り、目切坂へ。

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富士塚の看板がありました。今は超高級マンションになっていた。さぞかし良い眺めなんだろうなあ。

坂を下っていくと、東京音大のキャンパスがありました。おしゃれ。いまどきの大学って、こういうコンクリ系が多いのはなぜなんだろうか。

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DEAN & DELUCAで一休み。

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キャンパス前から見上げた坂はこんな感じ。ちなみに崖上は先ほどの朝倉家住宅の庭園です。

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タモリさんもお気に入りの坂の一つだそうです。なんかわかる気がする。

たった1時間半くらいのさんぽだったけど、なかなか見どころたくさんでした。

調布さんぽ(鬼太郎茶屋、布多天神社など)

鬼太郎好きの娘と調布に遊びに行きました。

調布に来るのは2回目。前回は鬼太郎茶屋が休業中だったのですが、先日リニューアルオープンしたとのことで、さっそく行ってみました。

鬼太郎とねずみ男がお出迎え。

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ねずみ男の足下にはすねこすりがいました。芸が細かい。

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店内は鬼太郎グッズがずらり。もっとじっくり見たかったけど、娘が早く神社に行きたいと騒ぎ始めたので断念し、布多天神社へ。

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成人の日ということもあり、晴れ着姿の方も多く、にぎやかな雰囲気でした。

鬼太郎みくじを引いたところ、ぬりかべ(吉)が出ました。どう解釈すればいいんだ。

その後は鬼太郎ひろばに移動しましたが、混雑していてあまり遊べなかったので、お隣のターザン児童遊園に移動。ゴリラがいました。あなたがターザン?

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立派な遊具があり、なかなか楽しかったです。

 

公園で思い出したけど、この記事おもしろかった。

公園─それは親たちの「自己演出」、「評価」、「比較」のステージだ | クーリエ・ジャポン

公園における保護者のふるまい、フランスはアピール合戦になるみたいだけど、個人的に日本だとどちらかというと相互監視的な目線が強い気がする。ダメな親だと思われないようにふるまう、という圧力というか。地域によっても違うのかな。

渋谷さんぽ(金王八幡宮)

 映画を観に久々に渋谷へ。始まるまで時間があったので、行ってみたかった金王八幡宮に足を伸ばしてみた。

 祭神は応神天皇で、由緒は以下の通り。「渋谷」始まりの地なんですね。

源義家が、後三年役の勝利は河崎基家(渋谷氏の祖)の崇拝する八幡神の加護なりと渋谷城内に寛治六年(1092年)に勧請した。基家の子、重家は堀河帝より渋谷の姓を賜り、これが渋谷の地名の発祥とされる。重家の子、渋谷金王丸は武勇に勝れ源義朝・頼朝に仕えた。境内の金王桜は、頼朝が金王丸の誠忠を偲び名付け植えた。(金王八幡宮 - 東京都神社庁

 社殿は三代将軍家光の乳母春日局と守役青山忠俊が、将軍内定の御礼に造営したそうです。

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 渋谷城の跡地ということで、砦の石なるものがあった。資料館的なところには、渋谷城の復元模型もありました。城というか、館というかんじ?渋谷川と八幡通り(旧鎌倉街道)に挟まれた、いい立地のところだったらしい。八幡通りというものの存在を初めて認識した。

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 写真撮りそびれたけど、資料館には「算額」なるものもあり、江戸時代に和算(日本で発展した数学)の問題を絵馬に書いて奉納するというのが流行し、それを見てさらに解答を考える、という人も出てきたらしい。日本人のクイズ好き(というにはレベルが高いけど)、昔からなんだなあとなんか面白かった。『天地明察』という小説でこの神社の算額が出てくるそうなので、読んでみようかな。

 おみくじを引いたら中吉でした。「とにかく神を信じて自分の仕事に励みなさい」と、カルヴァン派みたいなことが書いてあった。おおむねいいことが書いてあったけど、失せ物は「出ない。諦めよ」とのこと。なにか無くしたら諦めよう。

 神社近くの首都高沿いの大通りからは六本木ヒルズがどーんと見えて、渋谷と六本木の近さにびっくりした。地下鉄だとつながってないもんな。
 渋谷はスクランブルスクエアやらストリームやら新しい高層ビルが続々とできていましたが、それでもなお建設中のところが多数。駅はあいかわらずのラビリンスでした。

 

オリバー・バークマン(2021=2022)『限りある時間の使い方』

 人生を80歳までとして週換算すると4000週間しかないということを前提に、限りある時間に既存のタイムマネジメント法であらゆることを詰め込もうとしても土台無理なんだから、本当にやりたいことをやろう、という趣旨の本。Kindleストアで「隙間時間」と検索して出てきたのですが、そもそもそんな隙間時間の活用とか考えているのがだめなんだよ、と頭をガツンと殴られるような一冊でした。

 これだけだとよくある自己啓発本な感じがするけれど、なぜ我々がこんなにも常に時間を有効に使わなければという強迫観念にかられているのか、ということを、ウェーバーを引きながら解説しており、ちょうど並行して読んでいたサンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』とも重なるテーマで面白かった。
 カルヴァン派の人々が予定説のもとで自分が救済されているかを証明するために禁欲的にせっせと働いたように、現代人はいつか幸せな未来がやってくることを信じてせっせと時間を有効活用しようとしている。

禁欲と自罰でみずからの高潔さを証明しなければ、敗者の烙印を押されそうで不安なのだ.

 これはまさに、能力主義が新たな宗教として人々の間にすみずみまで浸透している、ということ。自分は時間をうまく使ってたくさんのことをマネジメントできる能力があるのだ、ということを常に示し続けることが、資本主義の中で自分の労働力としての価値を高めることにつながるということなんでしょう。

 また、乳幼児の子育て論について、しつけ派も自然派も、どちらも後々の子どもの発達の優位性をちらつかせて自分たちの有効性を主張する、ということはとても共感した。自分自身も子育てをしている中で、「これをしないと将来あなたの子どもはこんなリスクにさらされる」という脅し文句があまりに溢れすぎていて、どこまで真面目に受け取るべきなのか悩ましく思っている。これもまた、自分だけでなく子どもの能力も高めることが何よりの親の役目、という能力主義(かつ家族主義の混合?)の表れといえる。子どもですら「今を生きる」ことが許されなくなっている時代。

 とはいえ、ここまでしっかりとがっちりと社会構造の中に能力主義(という言葉は本書では使われていないけど)が組み込まれている中で、この本に書かれているような個人レベルの抵抗がどこまで可能なのか。反旗をひるがえしても経済的な安定が保障されているような人ならいいけども。まあ、この本が想定しているのは常に仕事をし続けているワーカホリックなエリート層、ということなのかもしれないけど。

 ちなみに、この本の訳者の高橋璃子さんが訳している他の本も読んだことがあるものが多く、これからもぜひチェックしていきたいなと思いました。

ジョアン・C・トロント、岡野八代(2020)『ケアするのは誰か?新しい民主主義のかたちへ』

  • 第1章がトロントの講演録の翻訳、第2章と第3章は岡野の解題という構成。第2章ではトロントの思想の歩みをたどり、第3章ではトロントの提言の具体化を論じている。
  • ざっくりいうと、誰もが関わる(それがゆえに低い地位におかれている)ケアという実践を、価値ある行動と位置づけ、その責任の配分を民主的に議論していくことが新しい民主主義につながるという主張。
  • ケア実践の価値を認めることの重要性は否定しようもないけれど、その範囲の設定や、実践の内容によって、また新たな序列が生まれてくるのでは、という疑問も抱いた。たとえば、ケアの受け手のニーズの高さ(病状の重さ、ケアの必要度合いなど)で、よりニーズの高い者をケアしている者の価値が高い、など。
  • また、ケアの価値を認めるということは、従来女性が担ってきたケア労働を認めるという点で重要だけれども、これまでケアを免除されてきた特権層からしてみれば、「価値があることをしているならそのままでよいではないか」という方向にはならないか。
  • これについては、まさにケアの責任の配分という点で、価値ある行為だからこそ、みんなで分担しようという方向にどのようにもっていけるかが問われそう。その価値にみあった待遇にしていこう、ということもそのひとつか。
  • 一方で、「ケアに関わる者は偉い」といった方向性にいってしまうと、子どもをもたないという選択をした人を追い詰めてしまいかねない危険性も感じる。ケアは育児という狭い意味ではないことは重々承知だけれども、現代日本における「子持ち/子なしの対立」といった構図を見ていると、そうした方向にも行きかねないような…
  • 「ケアを巡る関係性のあり方が、網の目のようにその他の依存関係へとつながっていることを明らかにしながら、どの依存関係が社会において弱い立場に置かれるかを問い、その不平等を改善していくことが必要」という指摘は重要。さまざまな出来事を見ていく視点として大事にしたい。

司馬遼太郎『街道をゆく5 モンゴル紀行』

  • 1巻からちびちびと読み進めてきたけど、今までで一番司馬さんが楽しそうだった。モンゴル語を大学で学ぶほどだし、本当に憧れの地だったんだろうな。
  • この時代、モンゴルにはソ連を経由しないと行けなかったらしく、いろんなトラブル続きでモンゴルに無事辿り着けるのかとハラハラした。まさか領事館の運転手さんがビザを出してくれるなんて。そんなウルトラCがありえたゆるやかな時代。
  • シベリアの先住民についても知らないことばかりで勉強になった。当たり前だけど、コサック以前からいろんな人々が住んでいたんだよなあ。歴史として残っていないだけで。大文明だけが人類のすべてではないということ。

    歴史は古代に大文明を築いた民族のために頁を割きすぎているようだが、この寒冷地で太古以来の採集生活を守りつつ生きぬいてきたシベリアの少数民族もまた褒辞を受ける資格があるのではないか。(「ボストーク・ホテル」より)

  • モンゴルについてからは、とにかく美しい描写がたくさん。特にゴビ草原に咲き誇る「ゴビン・ハタン(ゴビの妻)」という名の花についての以下の一節がすてき。これを体験するためだけにでもゴビに行ってみたくなる。

    靴の裏が、ゴビ草原にくっついたとき、おどろくべきことは、大地が淡い香水をふりまいたように薫っていることだった。風はなく、天が高く、天の一角にようやく茜がさしはじめた雲が浮かんでいる。その雲まで薫っているのではないかと思えるほどに、匂いが満ちていた。(「ゴビ草原」より)

  • ただ、そんな美しかったモンゴルも、いまはウランバートルの人口増で大気汚染が世界最悪の水準らしい。*1 切ないものです。

加藤陽子他『別冊NHK100分de名著 フェミニズム』

  • 4名の論客がフェミニズムに関する4つの名著を紹介するという構成。
  • 加藤陽子氏が論じている、伊藤野枝が直面した労働者階級とのつながれなさは、今も続く課題であり、同じ階層同士でつながる「横の旅」ではなく、階層・イデオロギーを超えた「縦の旅」が必要との指摘。
  • 女工に叱られて萎縮した野枝に対する、上間陽子氏の「そこからなんだけどな」という指摘に考えさせられた。ぶつかることのしんどさをどう乗り越えて連帯できるのか。衝突を過度に避けるこの時代に、「そこから」を紡いでいくことの難しさ。でも、その先にしか未来はないんだろうな。
  • また、同じく上間氏によるハーマン『心的外傷と回復』の解説と、彼女が運営する若年女性の出産・子育てのためのシェルター「おにわ」での実践も興味深かった。大きな選択の前に、どんなカミソリが好きか、飲み物に氷を入れるのが好きかどうか、といった小さな選択をする経験を積み重ねていくことで、徐々に自分の人生の舵手であることを取り戻していけるとのこと。
  • そうした感覚を持つことは、辛い経験をしたサバイバーはもちろん、女性全般についても同様に重要なのかも、と思った。伊藤野枝が言うところの「不覚な違算」(想定外の結果に直面して思い通りの結果にならないこと)に囲まれている女性だからこそ、自分の人生の主導権は自分が握るんだ、ということにより意識的になる必要がある、では、どうすればそうした意識が持てるのか、というのはまた別の問題だけれども。