水やりの記録

本や映画などの感想です。自分に水をあげましょう。

三宅香帆『女の子の謎を解く』

  • 少女漫画、映画、小説、アイドルと縦横無尽に渡り歩きながらの「ヒロイン像」に関する分析がとてもおもしろかった!平成の少女漫画におけるヒーローの弱さ、確かに。今思うとタキシード仮面って完全にお姫様ポジだったんだな…
  • 個人的な関心としては、「ケアするヒロイン」の『推し、燃ゆ』に関する考察が興味深かった。主人公に対する他者からのケアが存在しない世界で、推しへのケアに没頭する主人公を描いている*1が、ラストの推しの引退後に、初めて主人公が「部屋を片付ける」という自分のケアを行う。このことから、著者は以下のように指摘している。

    他者は不在なままでも、自分で自分をケアしようとするところで物語は終わる。それは「推し」という自分以外に目を向けてケアすべき対象がいなくなったからこそ可能になったのかもしれないし、もしかしたら大人になるということが、そもそも自分で自分をケアできるようになることなのかもしれない。

  • ちょうど同じタイミングで読んでいたカトリーン・マルサル『アダム・スミスの夕食は誰が作ったか』では、これまでの経済学が前提としてきた「経済人」は、ケアをすることを自身の役割から切り捨ててきた、と指摘されていた。著者が言うように、自分のケアをできるようになることが大人になるということなのであれば、現代社会で理想とされてきた「経済人」は、実は全くもって一人前の大人ではなく、それが様々なジェンダーを始めとする問題を引き起こしているのでは、と思ったりもした。

  • あと、48グループの変遷と新自由主義の重なりの考察も興味深かった。競争から居場所探し、その両方の否定を経て、最終的に今が楽しければいい、へと至る。一方で、K-pop的なオーディションも全盛なわけで、これはどう解釈できるのかが気になった。NiziUの抱える矛盾。

*1:そもそも、「推し活」はケアと言えるのか、というところはやや気になった。あと、推し活とそれまでのアイドルファンの活動の違いみたいなところはあるんだろうか。