水やりの記録

本や映画などの感想です。自分に水をあげましょう。

上野誠『NHK 100分de名著 折口信夫 古代研究』

 

要旨

 折口信夫は「他界」と「まれびと」をキーワードに、人と神の関係に着目して日本の古代の世界を読み解いていった。まれびとは他界から訪問する神(でもあり人でもある)で、その神からのメッセージを後世に伝えるために国文学が発生し、まれびとである神をもてなすために「ほかひびと」と呼ばれる芸能を生業とする人々が生まれた。ほかひびとは聖なる存在であると同時に乞食としても扱われ、聖と線が表裏一体の存在であった。

 折口は自身の民俗学を構築するうえで柳田國男の影響を強く受けたが、柳田が実証を重視し、生者と死者を明確にわけた祖霊論を展開したのに対し、折口は感覚を重視し、日本の多種多様な神を統一的に解釈するためのまれびと論を説いたという点で違いがみられる。

 折口にとって、日本の古典を研究することは、古いかたちの日本人の思考を学び、今の自分の心の中にあるものを明らかにするという意味をもっていた。

感想

  • 神からの言葉を伝えるために国文学が発生したという点は興味深いと感じたが、ほかの文化でも神話から文学が発生するということは共通してありそうな気がするので(イリアスとかギルガメッシュとか?)、どこまで日本文学の独自性といえるのかという点は気になった。神話ということではなく、神からの言葉と考えたとしても、やはり聖書やコーランなどいずれも神の言葉を伝えるものであり、どの文化でも言葉を洗練させていく動機は神という人間の範囲を超えた存在の物語や言葉を伝えるため、ということなのかも。
  • 柳田が実証主義であるのに対し、折口は感覚重視とのこと。学問としてどうなのか、という点はあるが、祖霊・まれびとのどちらが先かという議論に関しては、そもそも霊魂というものは死者・生者などの二元論できっちりわけられるものではないという折口の主張に分があるように感じた。祖霊論は男子直系相続を基本とする家父長制的な思想のもとにあるものなので、そうした家父長制が崩れた現代においては、「ご先祖様」といっても、折口のいう「まれびと」的な感覚でとらえるほうがしっくりくる。家父長制的伝統が失われてもなお、まれびと的な価値観は日本文化の中に生き残っているということか。